Quadro Diary

ボクの日々のルーティンと趣味の忘備録

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ボクノおふくろさん、長生きしてくださいね。

ボクノおふくろさんは、心に傷を抱えて、それでもそれを表に出さずに今まで一生懸命、みんなの事を考えながら4人の子どもを育て上げたがんばりやさんだった。

毎日、毎日、夜遅くまで、夜中の2時、3時頃まで翌日の朝ごはんの下ごしらえや、予め料理を作っていた。茶碗やお皿もきれいに拭き上げてピカピカに磨き上げて働いていた。

ボクが夜中に目が覚めて、2時過ぎていたかな、まだ、台所の電気が点いていたのを思い出す。

まだ、起きているのか、なにかやっているのか。

夜中まで、炊事や、洗濯、アイロン掛け、裁縫などをいつもしている感じだったなぁ。

ボクが子供の頃の話で、おかあさんは若い頃、食堂で働いていたみたいで、それが当たり前だったのかもしれない。 キツイとか疲れたとか口に出しているのを聞いたことがなかった。 料理もすごい量を作るし、それが美味しいし、食堂ではたらいていたから当たり前か、とくにお寿司、こちらではばら寿司って言っていたけど、甘い酢で作ったお寿司に錦糸玉子をたっぷりと乗せて紅生姜と絹さやを散らして食べてたな、あまりの美味しさで、大皿で3杯は食べていた。 それと、おはぎのをいつもお彼岸になると山のように作っていた、ひとつ握り拳くらいの大きさで、あんこの甘さも甘すぎず塩梅よくて美味しすぎて3個は食べていた。

とにかく、量は半端ないくらいの量を作る。

巻き寿司も直径10センチくらいのを10本くらい作るし、カレーも大鍋一杯作る。 カレーはいつも無くなるまでに1週間は掛っていた。

食堂やっていたので大量に作るクセが染み付いていたのだろうね。

料理に洗濯、裁縫、夜中まで毎日何でも一人でこなしていた思い出がありました。

今も、一生懸命頑張っていますね、明るくて、ちょっと天然ですが、楽しいおかあさんでしたよ。

家を出てから26年経つのだけど、時々、ばら寿司とおはぎも食べたいなぁと思い出します。

もう、いまは昔みたいな元気は無いみたいだけど、実家に帰るといつもみんなの心配ばかりして、最近、涙もろくなったのか、よく泣く。

ボクは子供の頃、2歳くらいに交通事故に遭い、足が悪くなっている。 1ヶ月間、意識不明の重体だったらしく、死にかけていた。 2月に入ってすぐに事故にあった、それも、おかあさんの目の前の道路の反対側で、おかあさんはボクがはねられたのを目の当たりにしていたんじゃないか、半狂乱になったんじゃないかと、想像でしか分からないです。 2月28日に意識が快復した。 三途の川を渡りかけていたところを引き戻された。 1ヶ月間、昏睡状態のボクは頭が熱が続いていたらしく、タライの氷があっという間に無くなっていたと聞いた。 おかあさんは1ヶ月の間、辛かったんじゃないかと思うけど、ボクは分からない。

そんな事があった、おかあさんだったのですが、心に傷を負ったおかあさんですが、できるだけ長生きしてほしい。 お父さんもだけど、両親はボクより長生きをしてほしいです。 ボクノタメニ苦労を掛けたので長生きしてほしい。

神様、死ぬのはボクの方を先にお願いします。

死ぬのは2度目になりますから、よろしくおねがいします。